Zeugnisse

昨日、よく私が行っているロマ・シンティのミュージアムで
講演会があると聴いたので行ってきました。

ロマ・シンティとは、いわゆる「ジプシー」の人です。
マンディによると、ロマはルーマニア地方からの、
シンティは少し高貴なイメージが付くそうです。
ちなみにジプシーや、ツィゴイナー(ツィゴイネルヴァイセンの)という
言葉はヨーロッパでは差別語にあたります。
最近だと毎日新聞が「ロマ族」という言葉を使っていて
「ついに日本でも『ロマ』という言葉が!」と感動しました。
ユダヤ人だけでなく、古くからヨーロッパに居住していた
ロマ・シンティの人々もナチスによって多数殺害されました。
ユダヤ人と異なり90年代まで迫害の事実が明らかにならなかったこと、
生き残りがほとんどいないことから、ヨーロッパでも
周知度が低いロマ・シンティの虐殺・迫害について
このミュージアムは、世界的な拠点となっています。

今年2010年は、ロマ・シンティの
強制収容所移送が始まってからちょうど70年。
2月、最初に輸送されたロマ族2500人の中には、
ハイデルベルクに居住していた99人が含まれていました。
ユダヤ人に対しては、1940年10月22日の早朝、
ゲシュタポが移動命令を出し364人が午後6時15分に
ハイデルベルクを出発しています。

70周年の催しとして、9月から来年1月まで
そのロマミュージアムを拠点に様々な講演が開かれています。
今日はアウシュヴィッツに収容されながらも生還した
ワルシャワ在住、Kasmierz Albinさんのお話。


彼が4年生だった39年、2週間の水泳合宿から帰ってくると
故郷のクラカオ(ポーランド)はドイツに占領されており、
学校は閉鎖され(機械の専門学校だけは労働力の観点から残された)
友人を頼って、2歳年上の兄とフランスを目指します。
しかし、道中のスロヴァキアで警察に見つかり、
刑務所に入れられることに。そこは環境が悪く、
食事もままならなかったため、「ドイツで働きたい者はいないか?」
の呼びかけに、全員が喜んで応募したそうです。
労働がいくらきついといえども、
今の自分たちの悲惨な現状よりも、ましに違いない…
そう信じた囚人たちを乗せた電車はひたすら西に向かいます。
電車は、途中、クラカオに停車したものの、
刑務所で疲弊した身体には、家族に会いに行く力は残っていませんでした。
ただ、電車から見た聖マリー教会の、なんと美しかったこと。
電車は再び出発し、さらに西へと進みました。
「ドイツに着いたぞ」そういわれて車窓を覘くと
そこにはゴシック体で「アウシュヴィッツ」と書いてあるのです。
"Dort gab es gar nichts schoen."
「そこには美しいものなんか、何一つなかった…」

到着後10日間は、昼の休憩1時間を残し
ひたすら「スポーツ」と称し、うさぎ跳びをさせられる。
目にした「Arbeit macht frei」が嘘であることに
気付くには、それほど時間はかかりませんでした。
これは、目的のある仕事などではなく、死への労働だということ…

ただし最初の到着者として、そしてドイツ語がで出来たということで
彼は比較的豊かな食事が出来るようになります。
さらには比較的楽な、SSの台所での労働に従事しているとき
仲間と共謀し、盗み出した制服でセスナ機を操縦し
見事脱出に成功することに。1943年2月のことでした。
その後彼はクラカオに戻り、レジスタンスとして戦ったそうです。


詳しくはよく聞き取れなかったし、話もところどころだったけれど
(結局兄や家族がどうなったのか語らず。)
アウシュヴィッツで想像する話とは、少し違った気がする。
というのも当然で、あの場にいた数万人は
数万人の物語と視点とを持ち、さらに本当に弱いものは
生き残らなかったのだから…。
ただいかに収容者たちが自分達を組織化していたか、
情報を上手く仕入れていたか、に驚きます。


講演会に先駆けての特別展示(パネル)は、なにやら見覚えのある
字体&色。どこで…?と思えば、時刻表その他。
それもそのはず、ドイツ鉄道が支援している(よう)でした。
「はじめに」には、「私たちが強制輸送に際してナチに
協力していなければ、これほど多くの犠牲を出さずに済んだ」と
書いてあり、こういう企業や個人の側の戦争責任の意識を
日本が持っているか、疑問に感じました。


今日は、ついにギュンター・グラスが近郊都市にやってくる日。
反ナチとして、ノーベル文学賞まで受賞した彼が
ナチに参加していたという告白は本当にショッキングであったけれど、
今日会ったドイツ人の同い年の友達によれば
「ドイツ人は、中学校で必ずグラスを読まなければならない」
と言っていたので、私たちの比ではない衝撃だったのだと思います。
彼と会えるだろうことは、明日がきっとラストチャンス。
時代を生き、時代を生み出した彼の息遣いを
きっちり感じてこようと思います。といいながらも
昨日夜遅くに、前売り券制であることを知る…。
夜明けが来たらさっそく電話をしてみようと思います。
チケットがあること、祈っていてくださいね!

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ご無沙汰<近況報告>

ご無沙汰してしましたが、みなさまお元気でしょうか?
(そして、こんな不定期更新を見てくださってありがとうございます!)

まだ私は、ハイデルベルクにいます!
旅行&ビール三昧だった長ーい夏休みも終り、
フランス語の勉強を始めました。(さっそく挫折しそうですが。)

この間に何をしていたのかは、また詳しく書くとして
(特にベルリン一人旅は、あとで写真を交えて詳しく書きますね。)
とりあえず生存しているぞ、というお知らせでした。
この間にDSH試験に合格し、いまや入学許可書さえ出れば
ドイツの大学、どこでも!修士を始められるコンディションです。が、
コレ(親指と人差し指をくっつけてみてください)的なものが。。。

いまや、親から国際電話で30分も就職について怒られる状態ですが、
ドイツ語も日常会話程度は支障がなくなってきたので
時代にかこつけて、希望としては来年、ドイツ平和村で一年間
ボランティアをしたいです。(が、現在募集停止…)

新学期、合唱にも手を出そうとしています。
一度練習に行きましたが、発声練習が
『カルメン』のハバネラと、『魔笛』の夜の女王のアリア。
やっぱり、土台となるところが違います。

しばらく、ドイツ=よい、日本=悪い、のように思い込み
ドイツ人になるべく努力をしたのですが、
そんなこと無理でした。だからと言って、日本人に溶け込めもしないと思います。
そんなとき、日本からもってきた『ペルセポリス』の映画を見たら
以前は興味がわかなかった、留学後のマルジにすこぶる同情。
すごく励まされました。

いまは、やっぱりちょっと、東京に帰りたくもあります。
とはいえ、まだ4ヶ月「も」(!)あるので
じっくり考えたいと思います。ではまた近日!

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Vebindung

<おともだち>のじゅんこさん、が
10年越しの著書を出版なさりました。

Book シモーヌ・ヴェイユの詩学

著者:今村 純子
販売元:慶應義塾大学出版会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

わざわざ小包で送っていただく。
(ありがとうございます!)

労働者に必要なのはパンでもバターでもなく、美であり、詩である

というヴェイユの言葉をテーマに、
西田幾多郎やレヴィストロースとの比較、
さらには『千と千尋の神隠し』などの映画を通した
現実的拡張の可能性について。
こんなに読みやすく、疑問を投げかける専門書というのは、
私にとって『ラディカル・オーラルヒストリー』以来。
是非図書館や書店ででも、お手にとってみてください☆

以下、mixiより転載。

***********************

昨日(注:金曜日)は、Tちゃんのルームメイトで、
変な友達、Rに
「サッカーを見たり、お酒を飲んだり、
 踊ったりする」と私のルームメイト共々パーティーに誘われ
変な服を着て行ってみたところ、
それは想像していたものと全く異なっていた。
昔、ジョージ=ブッシュに関する記事の中で
アメリカの名門大学には、さらに選ばれた人だけに
参加が許可される自助団体のようなものがあり、
そこに所属すると将来が保障される、
というものがあったのだけれど
まさに、それ。
ドイツ人でカトリックの男子生徒だけ、主に
法学部か医学部、という(哲学部生は皆無☆)
薫くんの言う「いやったらしさ」の至極にあるようなものであった。
とはいえ、みんなすごく親切な人で
正直すごく楽しかったので、結果私は混乱した。

ここだけを見れば、すごく楽しい、いいものに見えるけれども、
そこだけを見ることは出来ないように思われた。
でも、目の前に見えるのは、すごくいい人たち。

ある生徒は、戦争中、ナチスによってこの集りVerbindungは
禁止されたと言っていたけれど、
その対峙するものに、考え方としては、似たものが、
むしろ根となるようなものがあったのではないか。

混乱がアルコールに結びつき、
イライラしたので、Rに当たった。
彼は、パーティーでよく女の子と遊んでいるのを見るけれど
結局はこういうところで将来が保障されて、
ドイツ人でカトリック教徒の女性と結婚し
そして息子がまたこういう団体に入るんだろうな、
と想像したら、モウレツにムカついたのである。
結局は私が日本人で、警察の娘で、家柄もなく、
将来もないようなものであるから
そんなこと無意味なのに、ひがんでしまったのだと思う。


混乱し、相談できる人もいない中、
きっと私を救ってくれるだろう声を私は聞いた。
じゅんこさんが先日、ついに出版された
『シモーヌ・ヴェイユの詩学』を送ってくださったのだ。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=aw_mp_1/?a=4766417283&uid=NULLGWDOCOMO
まだ最初の部分しか読んでいないけれど、
まるで、じゅんこさんの赤ちゃんを囲んでいるような
気持ちになった。ヴェイユのことを聞かれても、
私は何も答えることはできないが、
それはじゅんこさんという存在を通じて
血となり、まなざしとなって、
私の中に存在するような気がするのである。


これからもっと、いろんなことがあるだろうけれど、
その度にきっと、いろんなことを思い出すのだとも思う。
過去と、未来の間。

**************************

とはいえ、混乱収まらず、
T先生にメールをさしあげる。

「まさか、本当に実在するとは。びっくりしてしまいました。
さらに驚くべきは、その育ちのよさ、のようなもの。
「何か飲む?」に始まり、「一緒に踊りましょう」まで。
確かに、カトリック教徒かつ優秀な学生である彼らはすごくいい人たちばかりなのですが、
なんだかすごく違和感がありました。(し、自分がみすぼらしく思えました。)
先日、ニュルンベルクのコングレスハウス上にある
戦争文書センターに行ったのですが、
そこで犠牲になった多くの人のかなしみを抱えながら、
コングレスハウスの美しさに目をみはった、あの瞬間に似た気持ちです。
ここドイツにいる友達にこのことを言っても、
あまり理解してくれる人がいないので
シュベール(注:国立駅前の喫茶店。長居ができるので
毎週文章批評会をしていました。)のことが懐かしくなってもしまうのですが。」

そんなこんなで、昨日締め切りの翻訳もまだ終わっていないのです。
現実逃避に似顔絵を作ってみる。

090317_010601_12 ちょっと似てる。

090317_010601_1 袴のほうが似合う(苦笑)

さてさて、翻訳。おやすみなさい。

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この3ヶ月間、何をしたのか…?

ワールドカップも開幕!!して数日が経ち、
Untere Strasse(居酒屋街)が近い我が家では
毎夜、眠れぬ日々が続いております。
日本の国旗は買わないくせに、
ドイツのユニフォームを着て、顔には三色のフェースペイント。
昨夜は学食のパブリック・ビューで
ドイツVSオーストラリアを観戦しました◎
いや~、盛り上がった!
こんなに盛り上がったのは、Eurovision以来です。

ここで、Eurovision(ユーロヴィジョン、ドイツ語読みだと
オイロビジオーン)とは何ぞや、と思われた方、
Eurovisionは、ヨーロッパでは常識!だそうで。(私も知りませんでした。)
各国から選出された歌手が集う、いわばヨーロッパ版
紅白歌合戦。前年の優勝国が開催国となります。
各国の投票により一位の国が選出されるのですが、
優勝は経済的にも、政治的にも大きな意味を持つものなので、各国必死。
近年はヨーロッパ諸国でのトルコ人住民の拡大により、
トルコの得票が異様に多くなっています。
学食に設置された特設モニター前に集う、数百人の学生に混じって
私も先月、Eurovisionを観戦?しました。
優勝したのは、ドイツ代表19歳のLena!!

その瞬間、メンザにこだます歓声(と、帰りだすトルコ人留学生たち)。
日本ではまだ知名度が低いですが、今度ヨーロッパ出身者に会ったら
是非Eurovisionのことを聞いてみてください☆


さて、この3ヶ月、私が何をしてきたかといえば、
簡単に言うとすると
語学学校(月~金午前)と週末のパーティー、
二日酔いで昼過ぎ起床の日曜日、の繰りかえしでした。
ドイツはパーティー文化が盛んで、
金曜日の夜、土曜日の夜は必ず、と言っていいほどパーティーがあります。
ほとんどはDJがかける音楽にのって踊る、という形式。
日本人はほとんどパーティーに行きません。が、
色んな人と知り合いになれるし、いつもは地味なドイツボーイの
爆発ぶりが面白くて、私はパーティーが大好きです。
各学部向けに、ダンスホールを貸しきってのパーティーが開かれる他、
学食でもパーティーが開かれます。(Sehr kuehl!!)
そのほかにも、誕生日パーティーや(ここでは本人が企画・準備をします)
今の季節は河原でバーベキューをしたり、
サッカー観戦をしたり、と週末のイベントは事欠きません。

とはいえ、そのせいで、
プラス、
ドイツ人は基本的に単独行動をしないので、
一時期は自分のペースが見つけられず、ものすごく落ち込んだことも。
ニュルンベルクへの一人旅を経て、今はだいぶ
自分のことが信じられるようになりました。
(ニュルンベルク記は近日更新☆)

3月のイースター休暇には、
日本で兄のように慕っていたYさんのいるロンドンへ!!
1_2

韓国人の友達と、美術館や博物館を中心に回りました。
ロンドンには下水の臭い漂う汚い街、の印象があったのに
ふと都会に広がる美しい芝生の公園や丘など、
本当に綺麗で、びっくりしてしまいました。
Yさんもお元気そうでよかったです◎
出発前、周りで流行っていたマヤ=デレンの本をYさんの部屋で発見、
なんだかんだでつながっている私たち、嬉しくなりました。
(写真は、大きな観覧車、ロンドン=アイからの夜景です。)

なかなか忙しく、まだドイツ国内でも
・マウルブロン(車輪の下のモデル、全体的に暗く寒い。)
・マンハイム(偶然日本で知り合った友達に会う)
・バーデン・バーデン(温かい!!パワースポット。花が綺麗)
・シュバルツバルド(黒い森。ケーキが美味しい)
・ヴュルツブルク(教会の天井画や、レジデンスなど
ヴェルサイユもびっくりの派手さ。とはいえ
教会の目の前にポルノショップがあったり、と気が抜けない街)
・ニュルンベルク
しか行っていません。ミュンヘンやベルリンに行きたいものですわ。

ハイデルベルクは留学生だけで5千人、学生が3万人近い街です。
3月にはドイツ語準備コースを履修したので、
100カ国以上から集った留学生と友達になりました。
特に面白いのは、コロンビアからきたジミー。
彼はいつも仲間をたばね、空気をよみながらも、
一日に600枚も写真を撮るパーティーボーイです。
先月、韓国と北朝鮮との間で緊張が走ったときは
去年兵役を終えた韓国人生徒や、
彼が兵役中の留学生の間に不安が広がりました。
イメージとでしかない戦争が、現実になる瞬間、
やっぱり頭で考えているものとは決定的に違うそれに戸惑い、
絶対に嫌だ、と思うようになりました。

ほとんど私は、留学生と一緒にいることが多いのですが、
最近はルームメイトと行動を共にすることが多いです。
今は、旧市街地のど真ん中、大学広場から徒歩1分のところに
6人のルームメイトと暮しています。(部屋は個室)
ほとんどの留学生が留学生同士で暮しているのと異なり、
なぜかこの階は、私と、アメリカからの留学生以外は全員ドイツ人。
一緒に料理をしたり、ビールを飲んだり、
ただキッチン(先日ルームメイトがいきなり大きなソファーを購入)で
おしゃべりしたり、と毎日を楽しく過ごしています。

そして、もう一つの私のコミュニティー。
以前からイランの政治問題に関心があったのですが、
ここハイデルベルクでイラン人と知り合うことができ
今はグリーン・ムーブメントの手伝いをしています。
ちょうど今日でイランの大統領選から1年が経ちますが、
先月も政治犯として6人が処刑されるなど
状況は改善していません。
国際情勢にも大きな緊張状態を及ぼしているイラン、
その国で自由に人が発言し、選択することができることは
きっと将来、国際情勢の改善にもつながっていくと思います。
下心的には(笑)、ジョニー・デップ似のイラン人Hに
Yさんと同じような兄感情を抱いていたのですが、
仕事の都合でスウェーデンへの移住が決まり、少し寂しいです。
そのHに「なんでイランのために行動しようと思うの?」と聞いたとき、
「これは、政治的な立場とか、イデオロギーとか、
 そんな問題じゃないんだ。
 普通の人が、命を奪われたり、毎日を辛く暮していたり、
 そうしたら、ただ単にやまも、かわいそう、と思うでしょう?
 その気持ちだけが僕のモチベーションなんだよ。」
といわれて、今まで自明のことだと思っていた<中立>というのが
いかに無責任な逃避であったのかを自覚しました。
自分の心の声を聞き、おかしいと思うことはおかしいと言うこと、
それを考えたときに、日本の矛盾も自然と浮かび上がります。

3ヶ月、もっといろんなことがあっただろうに、
書くとすればこんなものになってしまいました。
Facebookやmixiでは、ちょびちょび記録を重ねてきたので、
興味のある方は是非、よろしくお願いいたします。

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再開宣言☆

みなさま!お待たせしました!

(と言って見てくださる方は何人いるのか…)

おひさしぶりです☆ やま、です。
2006年4月に入学した大学も、3月で卒業、

できず、

今は大学からお金をもらって(ありがとうございます!)
一年間のドイツ留学の最中です。

Heidelberg

現在は、ハイデルベルク大学哲学部に在籍、
ということになっているのですが、実際のところドイツ語研修がメインで

●1週間のスケジュール

月~金 9時~12時半 ドイツ語学校
(マックス・ウェーバーの暮した家で授業が行われます。)
Mwh
月・水 1時15分~2時 哲学部の授業
(教授が信じられないイケメンで、思わず彼の専門のハイデッガーにハマる始末)
火    2~4時 タンデム(日本学の学生と会話の練習)
       4~6時 日本学研究所のゼミナール(日韓関係について)

このほかに、以前は金曜日の夕方にアフリカンダンス講座に通っていましたが、
最近はなかなか忙しく、代わりにビリーズ・ブートキャンプもびっくり!の
Baoch/Beine/Poe(直訳すると、腹・足・尻)コースで日ごろの運動不足を解消しています。

(日本のような運動部はほとんどありませんが
 その代わり数々の運動メニューが提供され、学生は無料で
 レッスンを受けることができます。)


なぜハイデルベルクに来たのか、といいますと、
率直に言えば、就職がなかったので
もう一年、<このままの自分>で留年し、就職活動をするのも無意味に思われ
「奨学金」を免罪符に(東京時代よりも断然楽に暮しています)
親に許しを得て、こんなこと言って、稚拙に思われるでしょうが、
自分探しをしようと思ったのです。
とはいえ、甘いものではなく、2月に帰国し、3月には卒業、
カコクな選択でもあります。
けれども、この3ヶ月、
少しずつ見えない実感がわきつつあるのですが、
人に与えられる道ではなく、自分が選び取ることのできる道を見つけられたら、
どんな風になっても、絶対に生きていける、
覚悟が私を支える、と思います。

世界情勢も不安定です。ハイデルベルクを選んだのは、
アレントが在学していたから、という単純な理由ですが、
そのほかにもう一人、私がここでその痕跡を感じたかった人、ゲッペルス。
先学期、ゲッペルスの日記を読む授業を履修し、
そのあまりにオマヌケ、で、愛すべき人柄、と
やったことの非情さに、むしろ悪は切り離すべきものではなく
隣に、そして自分の内部にもあるものだと感じました。
アレントの痕跡も少ないけれども、彼の痕跡は全く持って消し去られ、
そのような切り離しが、本当によいものなのか、
私はまだ分からずにいます。

最近また、イスラエルの横暴が露呈し、
さらには先だって、南アフリカへの輸出が発覚したことから
核保有が明らかになりました。
ここハイデルベルクでは5月、街中にイスラエルの国旗が飾られ、
文化交流事業が行われていました。
たまたまその時期に、パレスチナ支援団体の方とお話をする機会があったのですが
ドイツは歴史的に、イスラエルに対して遠慮があるようなことをおっしゃっていました。
とはいえ、襲撃された船にドイツ人も同乗していたので、
今はサッカーでかき消されていますが、
今後の動きを見守っていこうと思います。

さーて、真面目なことばっかり書いてしまったので
最後にコネタを挟むとすれば、
日本では、一回もモテなかった私ですが、
はいはいはい、ドイツでモテ期到来キターー(゜∀゜)ーー!!
とはいえ、不純な目的の方が多いので
「フンッ!」と押しやっては、「ギリシャ人、かっこいい…」と
目の保養をしています。

次回は、この3ヶ月何をしてきたのか、
詳しく書いてみようと思います。
ではではー!

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いってきます!

近頃更新も滞り、たまに更新するかと思えば
不快な内容であったこと、申し訳なく思っております。
申し訳ありませんでした。
今後は、ちゃんと、責任感をもっていくつもりですので
おつきあい願えましたらと思います。

みなさま、お元気ですか?
わたくし、報告がございます。
様々な人にお世話になりながらも結局、
就職を探し出すことが出来ませんでした。
困り果てて、次第に自暴自棄になり、
念願の新宿ゴールデン街で酩酊状態になったりしながらも
とある日、大好きな写真家Mさんを目撃し
その落ち着いた、そしてテレビで見るよりも若々しい姿に
私はこれじゃいけないのだ、と目が覚まされる思い、
さらには、初対面の私を飲み屋につれてってくださった
若き写真家の方の存在など、
人を信じるようになりたい、と心から思ったのでありました。

Mさんを目撃した翌日、大学から
交換留学の合格通知を頂きました。
来年二月からの1年間、ドイツはハイデルベルク大学
哲学部にて、ドイツ語を、そして
丸山真男やハンナ・アーレントについて
これまでサボってきた分、真剣に勉強をしてこようと思っております。
もちろん、就職の時期も逃すわけですし、
将来に関して不安が拭い去れることはありません。
劣等感に苛まれるときもあります。それでも、
このままではいけないのだ、というモヤモヤした焦燥感への
一つの試みとして、素晴らしい機会をいただけたこと、
本当に、嬉しいです。とある友人に
良いも悪いも、今後のわたし次第という言葉をもらい、
いままでそのように人生に真剣に向き合ったことがありませんでしたので
怖く思いながらも、希望を抱えています。
卒業は一年間延期されることになりましたが、その間は
身分不相応なくらいの奨学金もいただけることになりました。
理解のある両親にも、ずっと励ましてくれた友人にも、
このブログをみてくださっている方々にも、お礼を述べたいです。
ありがとうございました!そして、これからも、よろしくお願いいたします。

ということで、一年間続いた就職活動から手を引いたわたくし、
本日の夜行便で、念願の広島一人旅に出発します。
と言っても、計画を始めたのが一昨日で、
インターネットや電話を使って、ハードな旅行計画を立てました。
素晴らしい経歴をお持ちで大阪在住のOBのインタビューをしたり、
中高の友人に会うために、関西にも寄るつもりです。
(京都大学の吉田寮(一泊200円)に宿泊しようとしましたが
 来週はお休みだそうです、残念。)
5泊6日で3万円以内、という目標は早くも危ういことになっていますが、
高速バスやゲストハウスを利用し、きっとこんな貧乏旅行は
若いうちしか出来ないでしょうから、できるところまで
頑張ってみようと思います。
宮島で温泉に入りながら夕日を眺めたり、
日没後、船に乗って大鳥居をくぐることを楽しみに、
そして、一番の目的、記者をしているOBに言われた
「絶対に行かなくちゃいけない場所が、三つある。
 沖縄、長島、そして広島だ。」
との言葉を胸に刻みながら、土門拳も見上げた
ヒロシマの空を眺めてこようと思います。

・・・じつはまだパッキングの最中です(笑)
インドに行ったときに背負っていったバックパックは
かびていました。あのときは、どんなに広い世界の中にいても
まるで水中でサメを観察するときに使うような檻を通してでしか
見ることができなかったような気がします。

今度こそ、チキンな私からは卒業!


それでは、行って参ります◎
急に寒いですが、お体お大事に!

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近況

更新が空いてしまいました、
みなさま、お元気ですか?
残暑お見舞い、と申したいところですが
すっかり秋の風ですね。

私はこの一ヶ月、オーバーヒートの頭を
冷やすべく、旅に出ていました。
ある日早々と目が覚めた私は
カーテンをあけ、
朝日の昇りきらない町並みを眺めながら
ここにいてはいけないのだと思いました。
財布と携帯と、少しの着替えとを
いつも使っている、キャンパス地のバッグに、
最後に、本棚を見回して、ほこりをかぶった『罪と罰』の上巻を詰めて
一番自分の好きな青のワンピースと
2回しか履いていないハイヒールとで
小走りで駅に向かい、東京へ。
その後、八重洲口に真っ直ぐ向かい、
その日買うことのできる一番遠い高速バスの切符を手に入れました。
青森行き。
しばらく喫茶店で時間をつぶしてから乗り込んだ
バスの中で、私は一言も発さず、
だからと言って寝ることもできず、ただ前を見つめていました。
今まで、一人で旅行したこともなければ、
宿を決めずに旅行したこともありません。
どうしよう…急に後悔が浮かびました。
けれども、私は、進まなければいけません。
このままじゃ、いけない、それだけは分かっていました。
体中の関節に違和感を抱きながら、さらに4時間。
『罪と罰』を手に取りますと、これまで何度も何度も手にとっては
挫折してきたのに、このときはスラスラと頭の中で
声が止まりませんでした。ラスコリーニコフと
年齢が近づいたのが原因かもしれませんし、
なんだか、ものすごく同情したのです、私は彼と共にありました。
どんよりとした空の青森に到着し、
ICでも何も口にしなかった私は、駅前の小さな食堂の
のれんをくぐりました。
「まだ、やっていますか?」
「はい、お姉さん、ひとりなの?」
店の奥から、割烹着をきた50歳を過ぎたぐらいのおばさんが出てきて
さっと、私の腰掛けたテーブルを拭くと、また店の奥に消え
お水を持ってやってきました。
天井からつるされた扇風機で
壁には多くのメニューが、黄色い紙に揺れています。
(なにか青森らしいものを…)と思いながらも
私は旅行者ではないのだ、という思いがわきあがり、
それでも全く関係のないものは、と抗いの気持ちもありましたので
「サバの味噌煮定食を…お願いします。」
「はいよ。」

よく味の違いも分からないながらも、
いつも家で口にしている缶詰とは明らかに違うな、
などと思いながら大盛りのご飯を頬張っていると
「お姉さん、どこから来たの?」
と、おばさんがこちらを見つめています。
「東京から」
「へえ~、そうなんだ、訛りがないから…でも、普通
 観光客の人はこんな定食屋なんか見もしないからさ、気になって」
「さっきバスで来たんです。」

こんな些細な会話さえ、嬉しかった。
否定の連続で歪められ、ついに消えかけた私という輪郭、
自分の感覚を私はこの数ヶ月で、確かめられなくなった、でも
私が存在しているのだ、失った輪郭が甦る、
大丈夫、私はここにいる、ちゃんと、いる。

その後、やはり私は観光客のようなことをした。
太宰や寺山や、そこにない影を求めた。
家賃を振り込まなかった分の仕送りで、
一ヶ月やりすごした。ほとんど誰とも話さなかった。
携帯電話の電源は、青森に着いた初日に切れてしまい、
そのまま放置しておいたので、
私は文脈から切り離され、とても楽であったけれども、
そこにはお金が必要であったのだ。
さびしかったけれども、具体的に誰か、何か、思い出せるものもないのであった。
帰るときが来たのだ。
何も得ないまま、私は帰路へついた。

この一ヶ月は、思い出そうとしても
何だったのか、わからない、思い出せないでいる。
まるでそれは3日にでも、一年にでも感じる時間の伸縮の中で
けれどしっかり、私を変えてしまっていた。

・・・・

というのは、うそっぱちで、
私は6畳一間のアパートにひきこもり、
ああでもない、こうでもない、
とウダウダしているうちに21歳の夏が過ぎていったのです。
どうしようか、わかりません。
何をしたいのか、見えていた気になっていたものが
虚像だったと、面接中に気がつく始末。
そして、オヤジ達よ、なんで私をアンタラが否定できるわけがあるのか。
イミフメイなレトリックに疲れ果ててしまった。
それより何より、私はいくら音声を発しても、
もはや話すことができない。
この文だって、そう。色々書いても、結局は
何も語れずにいる。
話しているのに、全く語っていない。
最後の味方であるはずなのに、自分に対しても
違和感、不信感は高まるばかりで
あーー、もう、どーーしよーーー!状態でした。です。

あとのことは考えず、ということをしてみるかもしれません。
ピアスを開け、髪を切り、「変な」服を買いました。
それで街に出かけ、計画も立てずフラフラと、
時には映画館でビールを片手に、画面に見入っては
薄っぺらいのではと自己嫌悪に陥ります。
ドイツ語学校に行き始めました。
就職活動は、あと2週間のリミット、
それに「吉報」が間に合わなければ、ドイツに行ってしまいます。
まるで500milesの歌詞のような気分。
行きたいのか行きたくないのか、分からないけれど
行ってしまうのです。まるで引力のように。
行ってどうなるのか、わかりません。
一年間の「猶予」のあと、どうするのか、わかりません。
就職の時期は逃しているし、いつまで甘えられるのか分からないし
そもそも親から精神的に独立するためには、経済的な自立は前提だし、
と思い悩んだあげく、日芸のパンフレットを請求する始末。


こういうゴチャゴチャした状況下にありますが、
これを面白がっている私がいるのも事実。
面白味の或る人生を。

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わたしは、しらない。

イランで何が起こっているのか…

youtubeでネダさんの動画を見て
本当にショックだった。何が起こっているの?
今は何がおきているの?

『ペルセポリス』の著者、マルジャン・サトラピは
欧州緑の党に援助を要請していたけれど、
なぜ緑の党なのか…

そんな疑問を抱いていたところ、けさ
『persepolis 2.0』を知りました。
おそらく、これがすべてではなく、
ある種の視点なのでしょうが、
是非見てほしいと思っています。

『Persepolis2.0』
http://www.spreadpersepolis.com/

もちろんイランも気になり、なにか自分ができることが、と
思いますが、そういう目に見える事柄のみを
おいかけてしまうことに不幸の萌芽も並存するのでしょう。
見えないもの、身近なものを見つめること。

今から投票に、そして
演劇を見に行って参ります。

新宿梁山泊『ベンガルの虎』(唐十郎作)

感想は、またのちほど。

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七夕の願いは、何ですか?

間が開いてしまい、もうすっかり夏ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

わたくし、いまだに無い内定でございます。
某ブロック紙の最終面接で「君、記者ほんと向いてるね!頑張って働いて!」と言われたので、受かったものと思いアルコールに溺れたり服を買いまくったりして過ごしていたのに結果は…。地元紙の選考を受けたり、A新聞の支局で6時間も遊んできたり、しながら、小説を書いていました。寝ずに1日一万字書いては、次の日嫌になって消す、という日々を送っていたので、ついに先週ダウンしてしまいました。けれども、結構無理がきく体だと分かりましたので、これからの就活にも自信をもって、小説にも同時進行で力を注いでいきたいと思いました。小説は当初、創世記をモチーフに就職が決まらない大学生を書くつもりだったのですが、やめました。というのも、個人の悲しみや苦しみが承認を得られず、行き場所を失って暴発してしまうことが、私のようなミクロな次元だけでなく、長崎の銃撃から始まる、秋葉原の通り魔、厚生次官の殺害、などの、一見大したことのない理由での犯罪という日本そのものの抱える問題だと思ったので…今は自分なりにアイロニーをこめたSFのようなものを書いています。


ところで。就職活動がいつまでも埒があかないので、思いきって25歳まではスキルを付けるべきかと思い悩み始め、そのなかで大学の留学制度に応募をしました。選考に通れば、ハイデルベルク大学の哲学部で来年一年間、丸山やアレントについて勉強し、その後ワーホリか正式留学でもう一度ドイツに行き、将来的にはドイツで就職するか、日本で旅行会社などを開くかなどして専門的?に生きる、という選択肢も確保しつつあるので、思い詰めず、会社=自分ではなく自分は自分で先行して存在するのだと、自信をもって生きます。

20日は薫くん『青髭』40周年です。当日はゴールデン街にでも行こうと思いますが、どなたか是非ご一緒に!!

では、お身体ご自愛くださいますよう。

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補足と、いきかたの正誤

前回の日記は、いつにも増して言葉足らずで
分かりにくかったことと思います、すみません。
若干、補足します。

書き忘れていたのは、とあるアメリカ人の先生との会話。

「僕は、日本文学と映画が専門なのです。
 文学における、精神分析の意味での、ファンタジー(幻想)を
 テーマにしたこともありました。」
「では、村上春樹のSFめいた話もそれに当たるのですか?」
「あれは・・・違います。私が言うファンタジーとは、
 現実との見境がないものです。ハルキには、それがあります。」

確かに。おかしいことをおかしいと気付くのは、
自嘲のように私達に付きまとう影であるかもしれない。

相変わらず、地元と大学とを毎週往復。
昨日は午前中仙台で面接、その後友人を呼び出しランチを食べ、
夜は東京でコンサートを聴き(最高でした!)、その後人身事故でいつもの
2倍の時間がかかりながらも帰宅。今日は午前中から
『ねじまき鳥クロニクル』や『アムリタ』の主人公たちのように
暇をもてあまして、プールで90分クロールづくし。

しばらく面接がないので、気の持ちようが変化しました。
髪を切りに行かねば!!ピアスあけよう!!旅行しよう!!

今月中に、広島にいってきます!!

先日、ずっと入ってみたかった近所の
ギャラリー兼カフェに足を運んでみました。
・・・すごくよかった。
コーヒー(苦めのマンダリン)は、本当においしいし、
なによりもお店の方が、作品にこめられたストーリーや
その作家さんの話、またいろんな、ほんとうに色んな
作家さん、パフォーマーさんの存在を教えてくださって
自分の世界の狭さに改めて気付かされました。
インド伝統の紙芝居(巻物状)を、ものすごい迫力で読み聞かせるおじさま、
でたらめ語で童話を語り聞かすおばさま、
バターも卵も使わない、けれどものすごくおいしいお菓子の作り手・・・
少し前まで、私の世界は、一つしかありませんでした。
会社に入って、働いて・・・
けれども今、それだけじゃないのだと、自信をもっていえます。

♪ドブネズミみたいに美しくなりたい(リンダリンダ)

大企業に入ることが勝ちで価値なのだと、
そういう世界に私はいました。無意識にそういう価値を持っていた。
でも、結局、行きたかった大学に入っても、職が無い現状があるように、
所属では何も語れない。歴史においてサバルタンが存在するように。

最近、詩人の方々とお知り合いになったことも
大きな影響でした。

どこの大学ですか?

とは聞かれない。

あなたは、何をしているのですか?

と聞かれるので、


私は

「書いています、


 書いています!」




徐々に声を高く、

自分に聞かせるように

私のアイデンティティーを渡してたまるものか、と

奪還の喜びに もえているのだ。

生き方に、正誤はない。
優越も、ない。
そう知ったら、すごく、楽になった。

いつかも書きましたが、庄司薫の限界と面白さはここにあるように思える。
「勝ち」続けることは、全員にできることではない。
甲子園において、たった一つのチーム以外は全部が敗退するように。

詩を書こう、書きたい、書くのだ。

真っ暗闇の

二次元と三次元と、さらに多くのそれとが

混ざり合う その中に

きっと 向こうから

針がつついたので

一気に 光線が

小さな 点 から

奥行きを かもしだしたのだ

みなが それを 見た

声は連なり 道になった

けれど 暗闇は 暗闇のままであった

かれらは とおくなったのか それとも ちいさくなったのか

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